フェティッシュな振る舞い

    コスプレ、メイドカフェ、アイドルは全てごっこ遊びだ。中でもメイドカフェモーニング娘以降のアイドルは男性を強く意識したものになっていったと思う。かつてアイドルと言われていた80年代の若い女性歌手たちはある意味仕事で仕方なくアイドル的な振る舞い(いわゆるぶりっ子)をしていただろうに、今はそれが目的化してる。アイドルと呼ばれたことはあってもアイドルになろうとはしていなかったはずだ。メイドカフェのメイドについてはそもそも中世の家事使用人で、女性が就ける数少ない仕事の1つだった。目的化についてはコスプレも同じだ。コスプレはアニメのキャラクターを装いで演じることに過ぎないが、メイドカフェやアイドルを準備するものとして機能する。
    本来的な目的をずらし、脱構築し、流れの一部でしかなかったフェティッシュな振る舞いを目的化したことで起こる弊害は社会的文脈の欠如だ。過去の産物であったものを進んで求める存在として受け入れてしまうということが、階級意識や男性の性的嗜好を満たすことへの自覚をその存在足らしめるフェティッシュな振る舞いへの憧れが越えてしまったのだろうか。
    社会的存在として人を見ることよりもフェティッシュな振る舞いを通して見る事が先行するとポピュリストが活動しやすい見かけを重視する下地ができるだろうし、女性が主体的に働けることになって男におべっかを使わなくても良くなった社会でおべっかを使う仕事を好んでする事が階級社会や男性優位社会の復権的にも捉えられかねないが、それを女性自身が望んで行うことにもどかしさを感じる。
     人の言動が相互にどのように関係しているかが社会の営為であって、自分自身もその一員である以上、自分の行動が社会的な歴史や文化の中でどのような位置付けになるか理解しておくのは肝要だと思う。誰も自分が望まない解釈を含む言動を行いたいとは思はないだろう。それが出来なければ、大きな声で扇動したいやつら、もしくは見かけに過ぎない振る舞いに別の意味づけをしたやつらの思うがままになるはずだ。それらは既に「クールジャパン」とか「オタク文化」とかそれと上記3点を除く昔からある部類については「伝統」とか言われている。長く続けばいいってことはない。滅びてしかるべきものを蘇らせてはいけない。